日曜日, 6月 24, 2007

沈黙教育と徒弟制度

「原子力文化」というマイナーな小冊子の6月号に「江戸のホモ・サピエンス」というシリーズの記事中に標記のお話しがありました。

「以前は,こういく訓練法が封建的で非能率的だといってこき下ろす人が多かったが,最近では教師が手を取って教えるのではなく,当人が『見て覚える』方式の徒弟訓練を『沈黙教育』といって評価する人が増えている」

とあります。その説明として「一見効率がわるそうであるけれども,さんざん考えて繰り返して試みてから上手になった方が技術を応用する能力に大きな差ができる」としています。

これは課題/問題解決学習(Project/Problem-Based Learning)の考え方ですよね。違いはPBLでは意図して教えずに生徒/学生に考えさせるのに対し,(おそらく)江戸の職人は他の教育法を知らなかったし,その暇もなかったということだと思います。

大学受験など目先の目的に手早く結果を出すためには悠長なことはやってられないという風潮を感じますけれども,長い目でみると少しほうっておくぐらいにしてあれこれ悩み,考えさせた方が良いと思われます。

ただし文科省は平成18年に大学院教育に「徒弟制的な教育は限界?」という問題を投げかけています。研究室運営のために教授-助教授-助手-院生-学部生(助教授,助手は旧表現)といったヒエラルキーでもって院生らを研究の労働力として使うのを戒めたものです。意図して突き放すのか,労働力としてこきつかうのか,この辺は当事者の教育的な知見と自覚次第で,一見似て非なる研究室運営がありそうですね。